一昨日、信州旅行から帰ってきました。上田城、池波正太郎真田太平記記念館にはきちんと行ってきましたよ。記念館には忍者特設コーナーがあり、忍具や鎖帷子、忍び装束が展示してありました。子供に展示物の使い方の説明を片っ端からさせられました…。
それはともかく。
落乱考察に移りたいと思います。大した内容ではございませんが…
お題は、「テキストはどうやって作られているのか?」
次の二通り考えられます。
1.書き写す。
2.印刷する。
◎1について
一クラス10人程度と仮定して、各担任(教科・実技)関係なく書き写すとして、一人あたり5冊。挿絵はついているし(22巻参照)、少なくとも112ページ以上はあるし(1巻参照)、結構分厚いですよね。あれを5冊分写したら果たして何日かかるでしょうか?消しゴムなんてないし…間違えたらそのページ丸々やり直し。とんでもない。絶対やりたくない。
恐らく学年別のテキストでしょうから、その都度書き写す…?上級生だったら、予習がてら生徒自身が写すのもありかとは思いますが…。
それとも、写本を作るのが事務員の仕事?でも3人しかいませんし、小松田さんがやったら間違いだらけになりそう。
◎2について
板木型木版印刷は奈良時代に仏教・仏典と一緒に持ち込まれました。植字型印刷は、1592年に朝鮮出兵の際に大量の銅活字と印刷器具を持ち帰ったことから広まりました。ただし、この時点で室町時代が終了してから20年ほど経っているので植字型印刷はしていないでしょう。となると、誰かがしこしこと版木を彫った?
原作で山田先生が、「後でプリント刷ってやるから」というような発言をしていることから、学園に印刷技術はあったのでしょうね。
版木(山桜)の耐用回数は1000回に満たず、送りがな等小さい活字は500回程度だと思われるそうです。門外不出のテキストですから、印刷して製本してあるものを大量にとっておくとは思われません。生徒が入園してくる度に刷るのが妥当な考えでしょう。時間が経てば、印刷回数に関係なく駄目になる確率が多くなりそうですが、江戸時代の文献に因れば、部分的に駄目になっても修復は可能らしいです。
※結論
版木の管理が大変だけど、印刷が妥当かなあ。写本説を採れば、プリント類も全部書き写していることになりますし、かといって写本シーンは一度も出ていないし、前述の通り印刷技術はあったみたいなので、印刷が妥当かと思われます。臨時的なプリントのみ印刷とも考えられますが…。
印刷説が正しいのならば、一体誰が版木を彫っているのだろう…?紙が大切な時代だから、必要最低限のプリントだけ刷っていたと推測されます。
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