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管理人の日常です。
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25日に行われた、母の膵頭十二指腸切除術は無事に終了しました。
 当日、手術が八時半から始まるとのことで、私は前日から実家に前泊して備えました。
 これから、状況について覚書をします。
 
 当日の朝、七時半過ぎに父と私は病院に着きました。母は既に食堂・デイルーム(患者と面会者が語り合ったり出来る飲食可の多目的スペース)で待機していました。
 前日の夜九時、母は執刀医グループの訪問を受けたとか。いろいろと励ましの言葉をいただいて嬉しかったと母は申しておりました。
 三人で雑談していても、これから始まる手術のことが頭にあるせいか、だんだん会話が途切れがちになり。そのうち、執刀医の一人であるH先生(♂)が術前の説明に来てくれて、説明が終わってから私たちは看護師に導かれて手術室へと移動。エレベーターホールで執刀医の一人であるH先生(♀)とばったり。どうやら、患者・コメディカル・付き添い用エレベーターと、医師用エレベーターが分けられているもよう。
「え~、会っちゃったから、○○さん(母)と一緒に行こうかな~」
 なんて、彼女はかわいらしいノリで言ってくれたけれど、同じ執刀医グループの先生が医師用エレベーターに居たらしく、結局彼女は医師用エレベーターに逆戻り。
「手術室でお会いしましょうねえ~」
 と彼女はひらひらと手を振りながら、エレベーターの扉が閉まりました。

 ここから先は長くなります。
 興味がある方は、▼続きはこちらをクリックしてお進み下さい。

手術室に向かう母と握手を交わし、「頑張って」と一言述べて別れました。
 私と父は、看護師さんの指示に従って、家族待機スペースに移動。長椅子が何脚か置かれていて外部からパーティションで区切られたスペースです。テレビがあります。その隣に手術の進行状況を表したモニターがあります。
 そのモニターは、いくつかの項目を表示しています。
  • 手術状況:「入室」「麻酔中」「手術中」「終了」
  • 患者情報:「年齢月齢(ex.60歳3ヶ月)」「性別」
  • 担当科:.「脳外科」「泌尿器科」「外科」「婦人科」など
  • 終了予定時刻:内容によって一時間だったり、十二時間だったりする。
 患者情報と担当課だけでも、家族や近しい人が見れば個人が特定できます。家族待機スペースには複数の家族が集まるので、この程度の情報を示すしかないのでしょう。
 
 午前九時。事務系の人間がPHSと名簿を持って現れる。
「手術が5時間以上になる家族の方にはPHSをお渡ししています。読み上げますので、該当者の方はこちらにどうぞ!」
 患者名字を読み上げられ、身に覚えのある家族代表が(私は父に小突かれて前に出ました)三名、読み上げられる前に事務の人に近寄る。
 支給されたPHSは一家族に一台。
 その上、待機用個室を確保するか否かを問われました。無論、確保。当方の手術予定時間が8時間です。家族待機スペースは、一人用の椅子がならべられているだけで横になれないし、土足で入る箇所ですので床に横になれない。
 この時点での終了予定時刻は、16時53分。

 午前中はまだのんびりしていました。私も父も、個室内の長椅子に寝そべって電子書籍や雑誌を読んでいました。病院内ではwifiが禁止されていますが、スマホで暇つぶしをするのはOKでした。
 しかし、午前十一時過ぎに突然PHSが鳴り出す。
 私はドキッとしてテーブルの上で鳴り続けるPHSを眺めていましたが、父が「取れ」と身振りで言ってきたのでドキドキしながら応対しました。
 この時間にPHSが鳴る=開腹してみたけれど、手術してもムダな状況なので今回は手術しないで閉じる。 または、容体が急変して手術続行不可能…の二つの例しか考えられない。
 …結果、単なる間違い電話でした…もう…心臓止まるかと思ったよ…

 一時過ぎに病院一階のレストランで昼食。父も私も食欲無し。麺類をすすって済ます。
 ここからが長かった。
 
「おい、手術終了予定時刻が遅くなったぞ」
 午後三時過ぎに、父がモニターを見に行った結果。16:53→18:53になったらしい。
「2時間遅くなった…どうなってるんだ」
 父はそわそわと個室から家族待機スペースに行ってはモニターを見に行く。仕舞いには、個室を出て家族待機スペースに居座ってました。
 私は2時間遅くなったところでたいした誤差はないと踏んでいたので、どっしり構えていましたが、父の焦りに影響されて心がいくらかさざ波ました。しかし表面上は、落ち着いている態を装っていました。
 一応でも医療免許持ちである私が取り乱すわけにはいかない。その頼りない免許に父も母も縋っているのだから。
 
 18:30頃、PHSが鳴りました。私は飛びついて電話を取りました。
 手術は終了し、閉腹作業に入っているとか。執刀医から説明があるとのことで、私たちは個室を出て家族待機スペースに移動。あんなにたくさんの人たちが掲載されていたモニターですが、今は、ぽつんと母の状況しか残っていませんでした。まだ、「手術中」でした。
 家族待機スペースにH先生(♂)が現れて、近くの面談室に私たちを誘いました。そこで目にした物は…
 面談室にはテーブルと椅子四脚。向かい合わせに二脚ずつ。
 私たちの向かいに先生は座り、……
 …先生の手元にあるビニール袋等に入っているものは…私には臓器の一部としか認められないんですが…
 先生は矢庭に腰を下ろすと、手術は無事に済んだと報告してくれました。
 出血は少量で済んで、輸血の必要は無かったこと、母が麻酔から覚めるのを待って面会して欲しいとのこと。
 そして、先生は手元のビニール袋たちを引き寄せました。
「切除した内臓について、説明したいのですが…構いませんか?」
 切除された内臓が丸見えなんですけど。私は平気だから別にいいけれど。…父が引き気味である。前の日に放映されたスーパードクター特集で内臓はさんざん見て自分で平気になったと言ってたくせに。
「いやちょっとそれは…」
 と父がもごもご言い出したのにかぶせて、
「お願いします!」
 と元気よく応えてしまったのはサガなのでしょう。
 母の切り取られた臓器を見てわくわくしてしまったのは医療免許持ちのサガなのでしょうね。胃のガン部分は温存療法で二、三センチ余裕を持って丸く切り取られ、切り取られた部分を見せてもらいました。ガン部分がもこっとしていました。実際の所、触りたかったけれど我慢しました。父が居なかったら触りまくっていろいろ質問していた…だろうな。
 膵癌切除断面を生検に出してがん細胞はないとお墨付きをもらったとか。
 ありがとうございました、とH先生に頭を下げて次の待機場所に向かいました。
 
 次にお世話になるのはHCU。
   そこの看護師さんが、母の麻酔が醒めしだい連絡を下さることになっている。
 
 結局、母と面会したのは午後八時を過ぎていました。
 母の手はこれまでになく熱かった。
 父と二人で途中で夕食を済ませました。夕食をたべたバーで、くじ引きで一等賞を引いて白ワインのボトルをもらいました。
 
 翌日、午後に父と二人で面会に行きました。
 母の手は熱くありませんでした。元の冷たさに戻っていました。
  
 

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