図書館で『ズッコケ中年三人組』を借りました。
1978年以来続いていた『ズッコケ三人組』シリーズが一昨年50巻目で完結し、『ズッコケ中年三人組』は現在ならば不惑を迎えているであろう三人組をオールドファン向けに描いたものです。
作者の那須正幹さんは子ども読者にも充分楽しめるように工夫したみたいですが(編集部の意向もあって)、かえって中途半端な面が目だったような感じがしました。
私が初めてずっこけシリーズを手にしたのは小学校3年生の時です。当時、ハードカバーの本を買う資金がなく、本屋さんで立ち読みした記憶があります。あとで親にばれてその時までに発行された本をまとめて買ってもらった記憶があります。しかし、小学3年生には難しい内容でした。でも、面白かった。
その頃、学研の学習シリーズに投稿して採用されると500円の図書券がもらえることを発見し、せっせこ原稿を送りつけて図書券を稼いでは本を買いました。
伊藤左千夫の『野菊の墓』とか、児童文学全集にあるまじき本を買って、ようやく意味がわかったのが10年後…。どーして『野菊の墓』を児童文学全集に入れるんだ?担当者を問い詰めたい。あれは、大人にしか心持ちが理解できないって!しかも、他に入っている短編・中編もどう考えても大人向けだ!どーいう神経しているんだ?
…それはともかく。
ずっこけシリーズは小学校後半まで読みましたが、面白いけれど、何となくわからない部分もあって、そこが魅力的だったのでしょうか。
しかし、中学に上がってからは全く読まなくなりました。
そして、二十歳過ぎて懐かしくて実家近くの図書館にこもって一日に20冊リベンジのつもりで読みました。小学生向けなので、大人になった私は1時間に4冊は読めます。
さすがに『ズッコケ中年三人組』は30分かかってしまいましたが。
当時4歳だった娘が、図書館で熱心にずっこけシリーズを貪るように読んでいる私を見て、「大きくなったら読む!」と言っています。
読めるようになった頃にはどうなっているかな。本好きは退屈しないですむよ…
ただいま予算申請たけなわです。あっちこっちで見積書作成依頼しています。今年は新参者ということで難を逃れておりますが、昨年度までは欲しい物の順序づけだの理由書の作成だの、別途資料作成だのに追われていました。周りの喧噪を涼しい顔で見ています。楽だなー。「今度"会計委員リベンジ~事務屋の逆襲~"ってお題で何か書こうかな」と呟いたら、それを聞いた亭主に止められました。本当になったら怖いからだって。もちろん予算会議前哨戦の続きになりますから、けちょんけちょんにやられた会計委員長が逆襲と言わんばかりに予算を滅多斬りにする内容…これが現実問題本当になったら確かにイヤだ。一律二割カットが本当になった前科がありますから。
パソコン画面をぼーっと見つめていても、文章が浮かんできません。締め切り前日にならないとエンジンがかからないらしいです。
…などと、呑気な文を書いていた自分を呪いたくなりますわ!
ダンナの親からまたまた連絡が!結局は金の無心になることがわかっているので、電話線を抜きました。
7月半ばに大げんかして決裂したから、もう金がらみの話はしてこないと思っていた私が甘かった。忘れた頃にやってくるのね…。
独身の皆様、結婚相手は慎重に選びましょう。…本人よりも、むしろその親を見ましょう。本人を嫌いになって別れるのと、その親が原因で別れる羽目になるのと、どちらがマシでしょうか?
本人が原因の方がすっきりすると思う…(私は)。
来年三月から連載予定の小説に出てくる土井先生や伊作の台詞回しは、私の親友と私のダンナの考え方やセリフがかなり影響しています。二人ともとも親に明かな虐待を受けて育った人達です。平穏無事に育てられた私では、発想すらしない考え方があったりします。土井先生と伊作は、苦労を重ねた過去設定にしたので、大分暗いセリフや衝撃的事実を口走ってもらっています。自分自身、書いていてイヤになったりしましたが、私にないものを教えてくれた人達に感謝に意味も込めて書いています。折角長いお話にするのだから、意味もちゃんと備わってなくてはね。
…暗くなって申し訳ありません。
カテゴリーをまたまた新設しました。
私の雑念やらを吐き出す場とでも言いましょうか。
標記のタイトルが適当とは思えませんが、自分の語彙力の限界です。
理論を自ら考え出した実験で証明する理学に対し、史学は過去の手がかりを一生懸命探して、自らの理論を組み立てます。
史学は、正解のわからない推理問題と私は思います。
加えて言うのならば、実際に推理劇を上演して、観客に手がかりを見つけてもらう形式のものがあります。
観客は自分で手がかりを探し出し、犯人を当てるのです。
史学とは、それに大変よく似ていると思います。正解がわからないところが大いに違うところですが。
資料を探し、文献を読み、フィールドワーク的に埋もれている古文書を解読する。
何せ、自分で証拠を創るわけにはいきません。捏造になってしまいます。
どんどん新しいものが生み出される理学に対して、史学はぐるぐると同じ所をいったりきたりと思われがちですが、まだまだ埋もれている古文書や文献はあるでしょうね。発見したときの喜びはいかばかりでしょうか。
理学を専門とする私にとっては、未知の世界です。あこがれでもあります。