なぜなら、全くついていけないからです。
話題がころころと変わって、全然頭がついていきません。
仕事がらみで女だけの集まりがいくつかあるのですが、全てに欠席しているのはつき合いが悪いからだけではなく、女の無駄話についていけないからです。
どうしてだろう? 自覚しはじめたのは中学生の時。
親友(女)も私と同じタチで、自分が発言しようとしたら話題が変わっていて、悩んだことが多々あるらしい。
私がよく読んでいる同業者(女)のブログでも、同じ事で困ったり悩んだりしていることが書いてありました。
しかし、今日ある雑誌を見て、疑問が解けました。
脳梁か…!
私が読んでいる雑誌で、「女が急に怒るわけ」なんてお題の特集をしていました。
それによれば、
*1女性の脳は右脳と左脳をつなぐパイプ(脳梁)が太いので言語情報その他をどかっと流せる。だから、女同士のおしゃべりは話題がぽんぽん飛んでもOK、言葉が次から次へと繰り出されてもOK。ただし、男性は脳梁が細いのでついていけない。女はおしゃべりをすることでドーパミン(快感ホルモン)を活性化させる。しゃべることが楽しいのでとまらなくなる。(筆者要約)
…女同士のおしゃべりについていけない人は、脳梁が狭いのかも…!
結構楽になりました。脳のせいだ!と思えば楽です。そのかわり、改善の手だてがなくなりますが。
みなさん、あなたの周りで、井戸端会議中(無駄話中)にこにこ笑っているだけでほとんど発言しない人はいませんか…?
その人のことを「なに考えているかわからない人」と決めつけてはいませんか…?
いや、私も高校時代にそう思われたらしいのですが…
もしかしたら、単に話題がめまぐるしく変わるのについていけないだけかもしれませんよ…?
ついていけないから、にこにこ笑っているしかないのです。
話題がないから、話のネタがないから、自分の意見を持っていないから…発言しない理由はそれだけではありません。
授業についていけない人間は、寝たり、内職したり出来ますが、井戸端会議中にそれをやったら白い目で見られるでしょう。だから、にこにこと全てをわかったふりをして笑う格好をしているのです。
有袋類みたいに、いっそのことはじめからなかったら、人類のコミニュケーションはどうなっていたのでしょうか?
*1 POCO21 NO.68 p.24
寝る準備をしていた娘も、まだおきている予定の私も、帰ってきたばかりのダンナも、キョトンとしてしまいました。インターホンからは、
「こんな時間にすみません。○○署です」
…少なくとも、私自身は身に覚えがないぜ。刑事事件に係わることはなかったよな。まさか…
…と、隣の亭主を見たけれど。
ダンナが警察の人と応対していましたが、どうやらアパートの駐車場外に駐めてある車に問題があったらしい。この辺は道が狭く、車一台きりしか通れない道が大半です。うちのアパート近辺が車がやっと交差できる程度。そこに車を駐めていた人がいたそうです。
何事かと思ったら拍子抜け。
他の可能性もたくさん考えられるけれど、あえて考えないようにしよう。
小学校から、生活チェックシートなるものが配られました。一週間の起床時間就寝時間勉強時間体調を記録するものです。保育園みたい。保育園だと、夕飯のメニューまで書かされたっけ。
水曜日に親子行事があったけれど、私は仕事の都合で出席できませんでした。娘は前から出席不可能と承知していたけれども、同じ境遇のお友達とママごっこをしていたそうで、私は複雑な心境に陥りました。
私が仕事を辞めれば簡単に解決がつきます。
…しかし、万が一のことを考えるとどうしても仕事はやめられません。正社員で、しかもダンナよりも収入があるから、将来のことを考えるとやめられないのです。
その上、双方の両親は全く経済的にあてになりません。土地持ちでもない。自分達の住処を確保するのがやっとです(借家ではないだけまだマシです)。
逆をいえば、全て自分達の力でやるから、自信は付きます。けれど、背景の学費は親が出しているから、あまりいばったことはいえませんね。私は育英会から全く借金をしていないので尚更です。
この地に来て、親が土地持ちのありがたさを(というか甘さを)教えられました。
実家近辺(東京 北多摩地区)ではほとんどありえない話ですから。
しかし、実家近辺で土地持ちだとかなりの贅沢が出来ますよ。実例知っています。
私は私で、転入手続き、転校手続きといろいろやる上で仕事もしていたのでかなり忙しくなり、娘が家に帰ってくる時間に間に合いませんでした。
帰ってきて、庭を見たら、常連の他に大変珍しいお友達が混ざっている。
「今日で最後だから」
と、彼女は来たらしい。他にも家まで一緒に来てくれた友達が結構いたらしい。
わざわざクラスが違うのに、待っていてくれた子もいたらしい。
娘を連れて町役場に転校の書類をもらいに行き、新しく通う小学校に行き、学童にも寄り…出先で夕飯を食べて旧住居への帰途…後部座席ですすり泣く声が。
折悪しく、BGMの歌詞が『思いで作り』をテーマとしていたので尚更泣けてきたらしい。
「おともだちと別れたくない」
今日、お別れだと言うのでクラスの皆から手紙をもらい、個人的に手紙を寄こした友達も何人かいたし、家まで送ってくれた友達が結構いたらしいし。
今更ながら、実感がわいてきたのでしょう。
明日も片付け作業で残るので、友達と遊べますが、ごく一部の(親も家の場所も互いに知っている)子しか対象になりえません。普通にしていれば会える友達のうち、大半が会えなくなります。
「このコンビニも最後かな。思い出いっぱい作るんだ」
いちいち、旧居周辺の店を通る度に同じようなことを。
しかし、月曜日は新しい学校に行かなくてはなりません。
新しい学校の体育着をひとそろい買ったよ。
さあ、明日は部屋のカーテンを選んで、筆箱を買い換えて、リフレッシュしよう。
よく晴れた日の運動会…パラソルがない人間にとっては地獄の運動会…
日焼け止めを塗らなかったから、見事に土方焼け。
デジカメで録画して終了!運動会レベルなら、デジカメ録画で充分。
お昼ご飯は娘のお友達のテントに転がり込んで快適に過ごせました。
…しかし、ニジイロクワガタのはむはむの様子がおかしいことに気付きました。
ちっとも動かない。
娘は気丈にも折り紙を切って祈るようにクワガタの模型を作っていましたが、はむはむがちっとも動かないのを見て、泣き出しました。
…約三ヶ月、一緒に暮らしました。でもね、私は4歳の時にもっとつらい思いをしたんだよ。
人間だろうが、動物だろうが植物だろうが別れはあるのです。
今度はメスのニジイロクワガタを飼いたいと娘が言っています。
…私は一体何度葬式に参列したのか?赤の他人の死に目にもあったし、慣れているはずでも、その人のこれまでの人生が全て終わりになってしまうと思うと、ずんと背中に何かを背負わせれた気分になります。
特に、現場に立ち会うとなると(私は医療関係者ではないので尚更)、いろいろなことを考えてしまいます。
存在感のない土気色の肉体を見ると、泣く気がしなくなります。
今までの貴方は何だったの?って。
むしろ、ぶんなぐってやりたい。男でも女でも。
悲しみよりも、怒りがこみ上げてきます。
生き返れよってね。
木曜日まで、HPの更新が滞るので、とっとと水無月5の中編をアップしました。
私の従姉がトラブルで私の実家に転がり込んで来る前に、母はこっちに来るらしい。
…拷問だ。私は正直言って、従姉について母の望みのない愚痴を聞かされる精神的余裕はこれっぽっちもない。
考えたってしょーがないものはしょーがないでしょ!考えるだけ精神的エネルギーのムダ!
と自分は開き直れるほどになってしまいましたが、…この考えも、父親に虐待されて育った亭主の考え方なんだよなあ…
はっきりいって、感化されています。
自分がまともな育ち方をしたのがせめてもの救い。他人の悲惨な実例(幼児虐待・DV・養育放棄など)をなまじ普通より多く知っているから、実母にも頼りに…されても仕方ないんだけど。私がまるでおばあさんになったような気がする。たまたまそういった事例が交友関係に多いだけなんだけど…。
知らなくていいことは知らない方がいい。
二十歳の時に思ってました。知らなければ精神的に余裕が出ます。なまじ知っていると、悪い方へ悪い方へしか考えなくなります。そのかわり、何が起こっても驚かなくなりますが。
何事も前向き思考の人っていますが、世の中いくら前向きに考えてもムダなことは存在するのです。仕事では前向き思考は割と通用しますが、仕事が全く絡まない純然たる人間関係においては通用しない方が多いと思っています。
…私はいろいろな人達を見てきたから、経済的に独立しよう、自分とそのこどもぐらいはせめて自力で養えるようになりたいと、中高生の時から思ってきました。
現在、フルタイムで働いているので経済的にその望みは叶えられていますが、亭主がいないと精神的にきつい、と思います。
いなくても大丈夫!くらいになればいいのですけれど、やっぱり私はひとりで娘を抱えていくのは無理みたい。
離婚を考えているわけではなくて、単に私は子供を一人で抱えていけるほど強くはないらしいってことですね。
最悪、閉所の危機に追い込まれているそうです。
月曜日に役員達が市役所のこども課に行って交渉するそうです。
長く、かなり退屈な話になるので、学童保育に興味がある方のみ続きはこちらからお読み下さい。
修理に出していた車が戻ってきました。一週間以上乗っていたATからMTへ。始めは怖かったけど、すぐにもとのカンを取り戻しました。しかし、トヨタのディーラーが言うことには、マニュアル車は採算が取れず、ファミリーカーでは一種類こっきりしか扱っていないそうです。トヨタではスポーツカーから手を引いている真っ最中で、将来的にはマニュアル車の展望は絶望的とか。以前は、マニュアル車の方が安かったのに。MTに拘っている人はごく少数居るらしいですが…採算が取れるほどはいないみたいですね。運転するのすら職人的技術がいらないのか。
話は大きく飛びますが、このことは技術屋の二極分化を示唆していると思います。
今までは、エリート(機器の技術開発)・中間層(実際に機器を制御する)・素人(知識はないけど中間層に教育されてどうにかこうにかなっている)でまかなわれていた技術屋は、エリートと素人で十分に成りつつあります。機器がブラックボックス化して、ド素人でも扱えるようになった分、中間層がいらなくなったのです。ほんの十年ほど前まで、機器はPCに完全支配はされていませんでした。複雑な機器を動かすには、中間層技術屋の本領発揮たる職人的技術が必須だったのです。それが、中間層の存在意義でした。
しかし、今ではPCで大抵の機器が制御できるようになり、仕組みを知らない人までもが、職人的技術なしで機器を制御できるようになってしまいました。
エリートは、ブラックボックスのよりよい開発に勤しみ、ド素人でも現場で知識無しに仕事が出来る。
中間層に属する私は穏やかならぬ話です。
以前に、マイクロマニピュレーター(ミクロン単位で物を動かせる。顕微鏡下で用いる)の宣伝を見ました。
それまでは、ゲーム機のコントローラーににあるようなスティックで操作していましたが、新製品はPC上で画面を見ながらマウスで操作出来るようになったのです。
スティック操作の時には、相当なベテランでも10ミクロン単位でしか再現性がありませんでした。
しかし、新製品は、未経験者が1時間操作に慣れるだけで数ミクロン単位の再現性を実現してしまったのです。
本当に複雑な思いになりました。自分の将来展望ががらがらと崩れていく感じでした。
して、大抵の会社は人件費を削ろうとしています。
人件費を削るとなれば、手っ取り早い雇用は非正規職員。
今までは、専門職となると、ある程度高給を約束しなければいけませんでした。
しかし、いまや知識がない人でも表面上は専門的な仕事が出来るようになってしまいました。
人材育成にわざわざ金を掛ける必要もなくなったわけで。
中途半端な経歴を持った人間は太刀打ちできません。
技術屋といえども油断が成らなくなった世の中です。
…本当は、生薬の話をしようと思っていたのに、話が妙な方向に飛んでしまいました。
回りの人間に言わせれば、うちはかなり変わっているそうです。私自身認めています。
ビデオは見るけれどテレビ番組を見ない。2年くらい前は、娘が朝の幼児番組や忍たま乱太郎を見ていましたが、大人組は自分のためには見ません。娘も去年くらいからテレビ番組を見なくなり、ビデオのみになってしまったので、NHK料金を大まじめに払っている意味は全くないわけです(法律は置いておいて)。
…なんて環境で生まれ育った娘でしたが、テレビを見ない弊害があることに気がつきました。
今日、娘は帰宅してから幼児教材をやり、自分でビデオを操作して見ていましたが、家事が一段落した私が様子を見にいくと、ニュース番組に釘付けになっていました。
「ママ、あっちこっちでいっぱい事件や事故が起こっているんだね。知らなかったよ。この人達が心配なんだ。だから一生懸命見るんだ」
娘が指さしたのは、子供を亡くした両親のインタビュー画面でした。
保育園児の列に車が突っ込んだ事件の判決が出たらしく、特集をやっていたのです。
「保育園」という単語が出たせいか、子供心にも他人事ではないと思ったのに加え、遺族達の表情に心動かされたようで身体全体がテレビに向かっていました。
どんなに、世の中には悲惨な事件があるんだよと教えても、どんなに悪い人に酷い目に遭わされるかもしれないんだよと言っても、所詮実例を知らなければわかりません。ましてや、子供です。言葉を尽くして説明したところで人生経験が殆どないのです。大人だって想像を絶する事件があるという世の中ですから、子供が判るわけがありません。
いかに実際の事件を上手に伝えられるか、子供にも理解が出来る言葉で世の中のいろいろな事件を伝えられるかが大事かと思いましたが、言葉は要らないのですね。
悲しい目に遭った人達の生の表情が全てを物語っています。子供だって理解が出来るのです。大人のように疑いや妬みや揶揄したい醜い気持ちがないからこそ、純粋に悲しい目にあった人の表情に共感できるのです。
ニュース番組はこれから見せようと思いました。言葉の意味はわからなくてもいい。子供だからといって悲惨な出来事を知る機会を奪ってしまってはこの厳しい世の中を渡っていけないのではないか、とそんな気持ちです。
あちこちで道路工事が始まる季節となりました。
私が使っている裏道的通勤経路で大々的に下水道の工事が始まり、仕方がないので本道を通らざるを得ない状況が続いています。そして、雨になると劇的に混雑します。なぜならば、通勤路は某県立高校の側を通るのですが、息子達を送る車が結構あるのです。高校生だぜ!高校生!場所柄駅から自転車で通う人が多いんだし、普段通えるのなら雨の日だって自力で通えるよ!本当に過保護なんだから…、と同僚(男・地元民)に愚痴ったら、「貴女は東京の人間だからそんなことが言えるんですよ」と言われてしまいました。
だってさ…東京の人間=公共交通機関が発達しているから恵まれている という図式で括られがちですが、私の行っていた高校は自転車通学が9割を占めていて、雨の日だってみんな自力で通っていましたよ。雨で電車が止まるとか遅れるというのなら解らないではないけれど、そんなことがあるわけない。
やっぱり過保護だと思います。
公共交通機関が発達している、ということは、自力で帰るのが当たり前なんです。泥酔していようが、酷い嵐だろうが、電車が遅れようが、選択肢は「自力で帰る」なんです。少し譲って「最寄り駅までなら迎えに来るよ」、です。
だから、最低でも最寄り駅までは何としてでもたどり着かなくてはならないんです。
…娘が高校生になって、「雨降ってるから学校まで送ってよ」と当たり前のように言われたら…どうするんだろう、私。現実的には仕事を辞めない限りそんなヒマはありませんから「無理。自力で行け」のひとことで終わらすのでしょうね。「遅刻する」って言われたら、「前の日に天気予報ぐらい見ろよ」と返すのかなあ。
そして、腹が立って頭に血が上るんだろうなあ。
娘が体調を崩したので今日は仕事を休みました。
落乱サイトを次々と回っていて、思ったことがあります。
私はこれから先、何年同人活動をやっていけるかと。管理人さんの日記やプロフィールなどから推測すると、若い人…四捨五入して20の方達が多くを占めているような気がします。
もっと早くこの世界を知っていたらよかったのに、と思います。今みたいに時間を捻出する必要はなかったであろうし、娘が大きくなったらなったで今以上に神経を使わなければならないでしょう。
今だって参加を躊躇しているイベントがあるのに、これから先、年齢を食う事に参加が恥ずかしくなって困難になっていくでしょう。
よくて、あと2年かな。その間はうんと楽しもうと思います。
娘が昼寝から覚めて、騒音を立て始めました。雑音が入ると私は途端に頭が働かなくなります。本当に子供って音を出すことが好きです。