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2020/11/09 ---- 旦那が三回目の長期病休
22日夜に逝去されましたM.K.さまにつきまして。
心よりご冥福をお祈りいたします。
今日は朝から、彼女が残したブログを読んでいました。母もガンに罹患して、己の死期を悟っています。少しでも、患者の立場でかかれたブログ(ある程度長文であるから、情報が得られやすい)を読みたかったのてす。
彼女のブログには、私が知りたいことが詰まっていました。
がんに罹患した人間の思うことについて。日常生活について。
まだ読み終わっていません。
彼女と母は、置かれた立場が全く違います。
年代、子供の年齢、立場、ガンの罹患部位etc…
共通しているのは、ガンに罹患したことと、「まだ、生きたい。希望がある限り、生きていたい」という思い。
何年前だったか、母との会話の中で、「食べたいものが食べられない、体力が落ちて動くことも難しい。そんな状態で生きたくはないよねー」という感じで盛り上がったことがありました。
ところが、20日の説明後、病院内のカフェでいろいろと話している中で、
「わたしは何でもいいから生きたい」
と母が言ったことに私は驚愕しました。
「え、それって、おばあちゃん(母の母、食道ガンで食道切除のちガンが転移して寝たり起きたりの生活を送った後、末期ガンで死去)みたいになっても…?チューブだらけになっても?」
うん、と母は頷きました。
「だって、生きていたいよ。寝たっきりになったらどうかわからないけど。母さんは(母の母)、体力的にどんなにしんどくなっても下の世話だけは人に任せなかったし。直ったら、温泉くらいは行けるかなあ。みーみー(私の高二の娘)の大学入学、いや、せめて成人式は見たい。○○(花の名前)も見たいし。山に行くと、季節によっていろいろ花が咲いているんだよ。見たかったけど、もう、無理だよね」
その時の私は掛けるべき言葉を思いつきませんでした。
彼女のブログを読んで、母の気持ちがなんとなくわかり掛けた気がします。
食事=生き延びるため。楽しみもあるけれど、健康なときに比べて楽しむ割合は下がっている。
生きていきたい=自分の周りに起きる現象に関わり続けたい。母は、山登りが趣味です。たった一人の孫の成長も楽しみにしています。母が身ごもった中で、成人したのは私だけです。後の二人は流産だったり誕生日を迎える前になくなりました。一人娘の私が産んだのは娘一人。思い入れは人一倍でしょう。
子供を産む=親孝行、とかつてお世話になった産婦人科の先生はおっしゃいました。
娘を産んだときの父母の喜びようを見て、先生のおっしゃったとおりだな、と納得しましたが。
今になって、私の娘が母の生きる縁のひとつになっていると思い知りました。
母の娘…私はもう四十を過ぎていて、未来はほぼ見えている。
母の孫…娘は十六。将来やりたいことは確定し、夢に向かって突き進む。私の父母に向かって目を輝かせてやりたいことを語っている。
若いっていろいろな可能性がある。その未来を見たいと、母は希望しているのでしょう。
…その娘は、本日行われた塾の2者面談(親と先生)の結果を聞いてがっくりしていました。
「…宇宙工学系、それしかないの?マジ、三択じゃん。はああ…」
東大、京大、東工大に行けるアタマがあるんなら、選択肢が増えるけど…?
高校から、夏休みのノルマとして、最低二つのオープンキャンパスに行くミッションが与えられましたが。娘が早速オープンキャンパス事前申しこみした大学は…
「筑波大…もう定員いっぱいだって…」
16日からオープンキャンパスの事前申し込みが始まった筑波大はダメだった…
「あと、首都大学東京と…名古屋大?マジ、センターこんだけ取れって?」
おまえの壊滅的な通知書では推薦は無理なんだよ。塾の先生が、娘との2者面談の時に、通知書と模試とのあまりの解離ぶりに、模試の結果を何度か確認したらしいけど。
『たまに、こんな学生が居るんですよね…』と今日2者面談に挑んだダンナも言われたらしい。
30日に予定されている母の膵臓ガンの手術説明。
私はそれを出来るだけそのまま、娘に再現し、更に解説を加えて説明しようと計画しています。
それから、M.K.さんのブログ。
全部読み尽くして、母との今後に備えようと思います。
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