管理人の日常です。
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2025/03/11 ---- 何かというと「死ねばいいんだな」ダンナが4度目の長期病休
2021/05/03 ---- メモ書きを見つけたので整理がてら。
2020/12/08 ---- 旦那が三回目の長期病休明け
2020/11/27 ---- 週三でジムに行くと
2020/11/09 ---- 旦那が三回目の長期病休
二十日に、母の胃がん手術についての説明が成される予定でした。
しかし、胃がんの精密検査で使用したCTスキャンによって、膵臓にガンらしき影が確認されたときに状況は一変しました。
膵臓ガンは発見されたときには進行ガンになっているケースがほとんどです。
見つかった胃がんは初期で、明るい展望だったのを。…膵臓ガン(疑)がひっくり返してくれました。
従って、二十日の説明内容は、胃がんよりも膵臓ガンの方に重きを置いた内容になりました。
私は休暇を取って、車で実家に行き、そこから母と二人で電車で病院に行きました。
三時半から説明がはじまるはずが、実際に診察室に呼ばれたのは五時。
三時過ぎには病院に着いていたので、長い待ち時間の間、母といろいろと話をしました。
家族のこと、仕事のことなど。こんなにじっくりとプライベートな話が出来たのは初めてでした。ことに、母は私たち家族のプライベートを聞きたがり…普段はそうでもなかったのに…私は細かく自分の日常や、娘の高校受験や高校生活についてのエピソードなどを話しました。
実は、CTスキャンで影が見つかったときに、膵臓ガンの疑い、の宣告をされたそうです。
その時に説明してくれたM先生が、ずばずばと言うタイプだったらしく。
「保って2、3年だね」
と、あっさり言われたそうです。父は真っ青になり、母は頭が真っ白になったとか。
説明の順番が回ってきたとき、いいかげん待ちくたびれていました。同じ待合室に居る人が次々と診察室に呼ばれている。次は私たちかな…と勝手な予想はいくつも裏切られ…いっそのこと飲食店並みに、皆が見られる状態の書き込み式だったら気を揉まずに済むのに。
H先生は思いやりのある方でした。絶望的な内容の説明に、なんらかの余地を残していました。言ってる内容は、母から聞いたM先生と同じだと思いましたが。『ものは言いよう』としみじみ実感しました。特に、死期をある単位で切られた人間にとっては。
母がすがるように訊ねます。
「素人考えなんですが、残された部分が多いと回復が早いような気がするのですが。そんなに切らなくてはならないんですか」
母の内臓は広範囲にわたって切除される予定です。胃がんが出来ているのは胃の入り口付近。そして、膵臓ガン関連では、膵臓の頭部、十二指腸の全部、胃の一部、胆のう、胆管などを取り除くもので、残った膵臓を小腸につないて膵液が小腸に流れ込むようにします。場合によっては、膵臓の全てを摘出するかもしれません。
H先生曰く、
「どれだけ残すかと言うよりも、残された膵臓がどれだけ機能するかですね。手術しても直る見込みがなければ、はじめから開腹しませんよ。9(対)1とか8(対)2とか…その辺は意見が分かれるところですが、僕はこのように考えています。たとえ7(対)3でも、希望が持てるから、手術するのだと」
母は、
「じゃあ、少しは希望が持てるのですね」
H先生は曖昧に頷いただけだったけれど、母の顔色はたちまち明るくなりました。
五時を余裕で過ぎていましたが、母がティータイムを要望したので、病院内のレストランでおやつを食べることにしました。
母はアップルパイとホットコーヒー、私は抹茶シフォンケーキ(生クリーム、粒あんおよび粉砂糖を抜いたもの)とアイスティー。
改めて、H先生の話をかみ砕いて説明し、術後に食べられなくなる可能性がある食品を解説。術後の栄養指導で初めて教えられても遅いんだよ。食べられるうちに食べておかなきゃ。ね。
それから、H先生の説明にもあったインスリンの話。血糖値を下げる働きがあるインスリンを作っているのは膵臓で、膵臓を取ってしまうと当然インスリンがでない。Ⅰ型糖尿病と同じ。だから、インスリンを自ら打って血糖値をコントロールする必要が出てくる。
小学生だって、インシュリンの自己注射を行っていると母に教えました。そうなの…、と母は少し安心したようでした。
帰り道にも、話がはずみました。中でも、両親が老後をどのように過ごすつもりで居るのかと、金融財産について明確に話が出来たのが収穫でした。
まず、二親とも、私の世話にはなるつもりはない、と。私は一人っ子ですので、そのような親の見解がはっきりしてホッとしました。しかし。別の問題がある。
…って言われても、要介護レベルになったとき、とか…どうするんだよって。私が物理的あげくに金銭的面倒も見なきゃあかんのか。私が知りたいのはそこです。
母が口にした、両親の預貯金の額を聞いてびっくり。父は中卒の建築系の職人で、私をお金の掛かる私大薬学部に入れてくれたあげく(スチューデントローン無しで)、ここまで貯められるなんて、お父さんもお母さんもすごいな…と尊敬します。同時に、安心しました。父が悪徳商法に引っかからない限り、一応は大丈夫でしょう。
「あんただって、それくらいあるでしょ。共稼ぎだし」
軽く言い放つ母に、私は自分の年収(税込み、保険料込み)をぼそぼそと告げました。
「えっ、なに、そんなにもらってないの」
と、驚かれました。心外だ。
どうせ、私はサラリーをもらっているただの雇われ人だよ。
ちなみにダンナの収入も似たようなもんです。
と告げたら…母、絶句。
「一流企業に勤めているわけじゃないんだからさ…」
夫婦で束になって、父に追いつく…のかなあ…安月給の雇われ人は成功した自営業に遠く及ばないんだよ。
父に、「来てくれてありがとう」と何度も言われました。
父から謝礼の言葉を連呼された…もともと謝礼の言葉すらほとんど言わない人なのに。
よっぽと、心細かったのでしょう。
私は翌日に仕事があるので、とんぼ返りです。実家から、駐車場まで徒歩3分ですが、いつもなら父は家に残って、母が駐車場までついてきて、雑談を交わしていますが。
今回は、母が家に残って父が駐車場まで付いて来ました。
「…全く、参ったよ」
二人とも前を見たままで会話。
「お母さんの力になってね」
「…うん」
「これからは、お父さんが頼りなんだから。家事は全部お父さんがやるんだよ」
父が固まったのは…気のせいだと思いたい。
30日に、いよいよ膵臓ガンの説明があります。私は仕事が終わった後、実家に前泊して説明に臨む予定です。それまでに、ざっと調べておかなくては。主治医がずばずば言うM先生になるみたいで、説明役も彼らしいので。父と母を精神的にどん底に突き落としたM先生です。
だから、両親が先生に質問したときのフォローはしたい。
母や父に詳細解説を乞われたら、応じられるくらいの予備知識はつけておきたい。
使っていない医療系免許でも、(はったりで)役に立てられればいいかな。
しかし、胃がんの精密検査で使用したCTスキャンによって、膵臓にガンらしき影が確認されたときに状況は一変しました。
膵臓ガンは発見されたときには進行ガンになっているケースがほとんどです。
見つかった胃がんは初期で、明るい展望だったのを。…膵臓ガン(疑)がひっくり返してくれました。
従って、二十日の説明内容は、胃がんよりも膵臓ガンの方に重きを置いた内容になりました。
私は休暇を取って、車で実家に行き、そこから母と二人で電車で病院に行きました。
三時半から説明がはじまるはずが、実際に診察室に呼ばれたのは五時。
三時過ぎには病院に着いていたので、長い待ち時間の間、母といろいろと話をしました。
家族のこと、仕事のことなど。こんなにじっくりとプライベートな話が出来たのは初めてでした。ことに、母は私たち家族のプライベートを聞きたがり…普段はそうでもなかったのに…私は細かく自分の日常や、娘の高校受験や高校生活についてのエピソードなどを話しました。
実は、CTスキャンで影が見つかったときに、膵臓ガンの疑い、の宣告をされたそうです。
その時に説明してくれたM先生が、ずばずばと言うタイプだったらしく。
「保って2、3年だね」
と、あっさり言われたそうです。父は真っ青になり、母は頭が真っ白になったとか。
説明の順番が回ってきたとき、いいかげん待ちくたびれていました。同じ待合室に居る人が次々と診察室に呼ばれている。次は私たちかな…と勝手な予想はいくつも裏切られ…いっそのこと飲食店並みに、皆が見られる状態の書き込み式だったら気を揉まずに済むのに。
H先生は思いやりのある方でした。絶望的な内容の説明に、なんらかの余地を残していました。言ってる内容は、母から聞いたM先生と同じだと思いましたが。『ものは言いよう』としみじみ実感しました。特に、死期をある単位で切られた人間にとっては。
母がすがるように訊ねます。
「素人考えなんですが、残された部分が多いと回復が早いような気がするのですが。そんなに切らなくてはならないんですか」
母の内臓は広範囲にわたって切除される予定です。胃がんが出来ているのは胃の入り口付近。そして、膵臓ガン関連では、膵臓の頭部、十二指腸の全部、胃の一部、胆のう、胆管などを取り除くもので、残った膵臓を小腸につないて膵液が小腸に流れ込むようにします。場合によっては、膵臓の全てを摘出するかもしれません。
H先生曰く、
「どれだけ残すかと言うよりも、残された膵臓がどれだけ機能するかですね。手術しても直る見込みがなければ、はじめから開腹しませんよ。9(対)1とか8(対)2とか…その辺は意見が分かれるところですが、僕はこのように考えています。たとえ7(対)3でも、希望が持てるから、手術するのだと」
母は、
「じゃあ、少しは希望が持てるのですね」
H先生は曖昧に頷いただけだったけれど、母の顔色はたちまち明るくなりました。
五時を余裕で過ぎていましたが、母がティータイムを要望したので、病院内のレストランでおやつを食べることにしました。
母はアップルパイとホットコーヒー、私は抹茶シフォンケーキ(生クリーム、粒あんおよび粉砂糖を抜いたもの)とアイスティー。
改めて、H先生の話をかみ砕いて説明し、術後に食べられなくなる可能性がある食品を解説。術後の栄養指導で初めて教えられても遅いんだよ。食べられるうちに食べておかなきゃ。ね。
それから、H先生の説明にもあったインスリンの話。血糖値を下げる働きがあるインスリンを作っているのは膵臓で、膵臓を取ってしまうと当然インスリンがでない。Ⅰ型糖尿病と同じ。だから、インスリンを自ら打って血糖値をコントロールする必要が出てくる。
小学生だって、インシュリンの自己注射を行っていると母に教えました。そうなの…、と母は少し安心したようでした。
帰り道にも、話がはずみました。中でも、両親が老後をどのように過ごすつもりで居るのかと、金融財産について明確に話が出来たのが収穫でした。
まず、二親とも、私の世話にはなるつもりはない、と。私は一人っ子ですので、そのような親の見解がはっきりしてホッとしました。しかし。別の問題がある。
…って言われても、要介護レベルになったとき、とか…どうするんだよって。私が物理的あげくに金銭的面倒も見なきゃあかんのか。私が知りたいのはそこです。
母が口にした、両親の預貯金の額を聞いてびっくり。父は中卒の建築系の職人で、私をお金の掛かる私大薬学部に入れてくれたあげく(スチューデントローン無しで)、ここまで貯められるなんて、お父さんもお母さんもすごいな…と尊敬します。同時に、安心しました。父が悪徳商法に引っかからない限り、一応は大丈夫でしょう。
「あんただって、それくらいあるでしょ。共稼ぎだし」
軽く言い放つ母に、私は自分の年収(税込み、保険料込み)をぼそぼそと告げました。
「えっ、なに、そんなにもらってないの」
と、驚かれました。心外だ。
どうせ、私はサラリーをもらっているただの雇われ人だよ。
ちなみにダンナの収入も似たようなもんです。
と告げたら…母、絶句。
「一流企業に勤めているわけじゃないんだからさ…」
夫婦で束になって、父に追いつく…のかなあ…安月給の雇われ人は成功した自営業に遠く及ばないんだよ。
父に、「来てくれてありがとう」と何度も言われました。
父から謝礼の言葉を連呼された…もともと謝礼の言葉すらほとんど言わない人なのに。
よっぽと、心細かったのでしょう。
私は翌日に仕事があるので、とんぼ返りです。実家から、駐車場まで徒歩3分ですが、いつもなら父は家に残って、母が駐車場までついてきて、雑談を交わしていますが。
今回は、母が家に残って父が駐車場まで付いて来ました。
「…全く、参ったよ」
二人とも前を見たままで会話。
「お母さんの力になってね」
「…うん」
「これからは、お父さんが頼りなんだから。家事は全部お父さんがやるんだよ」
父が固まったのは…気のせいだと思いたい。
30日に、いよいよ膵臓ガンの説明があります。私は仕事が終わった後、実家に前泊して説明に臨む予定です。それまでに、ざっと調べておかなくては。主治医がずばずば言うM先生になるみたいで、説明役も彼らしいので。父と母を精神的にどん底に突き落としたM先生です。
だから、両親が先生に質問したときのフォローはしたい。
母や父に詳細解説を乞われたら、応じられるくらいの予備知識はつけておきたい。
使っていない医療系免許でも、(はったりで)役に立てられればいいかな。
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