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管理人の日常です。
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母は16日に退院しました。
 都立病院にはお盆休みなんてないのか。…公務員には夏休みはあるけれど、お盆休みはないもんね。
 まずまず土日も休みなのか疑わしい。現に、手術説明は日曜日だったし。病院は基本給が高いブラック企業ですね…。医者に残業代払わないのが一般的なのかと思いたくなる報道記事が見受けられます(むしろ、医者は労働者とすら認められていないけど)。

 明日、実家に行って母の様子を見に行こうと予定しています。
 連絡したら、案の定、私に食事を作って欲しいらしい。
 母は胃と膵臓を部分切除したので、献立が難しいらしい。蛋白質と繊維質の制限がかかり、離乳食並みに柔らかくしたものでないとダメらしい。加えて、一度に食べられる量が少なくなっている。うどんは1/4玉しか食べられないし、魚も半分がやっと。
 胃がんなどの消化器系疾患専門のレシピ集ってないのでしょうか。ネットでざっと検索してみたけれど、見つかりませんでした。
 ご存じの方、情報提供願います。

 こんな時間に職場から電話がかかってきました(うちの職場は24時間体制です)。なにかトラブルあったのかなー、でも私酒飲んじゃってるし、ダンナは夏期講習に行ってる娘を迎えに行って留守だし、だから現場にタクシーで行かなきゃ(公共交通機関ではたどり着けないので)とぐるぐる考えていたけれど。電話のやり取りだけで問題解決できました。よかったー。
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Q.標記の値段について、何にかかった費用でしょうか?
 A.母の手術費用の自己負担額です。
 
 「限度額適用認定証」を交付されているとはいえ、何なんだ?
 私は請求書兼領収書を見て目を疑いました。いわゆる「標準治療」だと、これだけ安く済むなんて。保険点数から鑑みるに、全額自己負担ならば百万以上掛かります。
 今回の請求はあくまでも手術に関する費用だけみたいで、退院するときにはまた治療費を払わなくてはならないようですが、そのときに追加で請求されるのかもしれません。その上、母は差額ベッド代がかからない大部屋でお世話になっていたので、なおさら安く済むのでしょう。
 
 昨日、東京の実家に車で行ってから、家族三人+父で母の見舞いに行きました。
 母が元気だったので、患者と見舞客で話が出来るスペースに行きました。
 主に娘が近況をぺらぺらしゃべり、仙台土産をじいちゃんばあちゃんに渡していました。槐で出来た小さなこけしのストラップ。色違いで二人に。娘は総文祭の関係で仙台に行っていたのです。
 30分ほど話をして、病院を出ました。来週にでも退院出来るらしくて驚きました。

 実家に一泊してから家に帰ろうとしたけれど…私たち、お盆真っ最中激混み下り方向の高速に乗ったことないんですよ…実家が都内だから。
 テレビやネットで目的の高速が大渋滞しているのを見聞きして、一般道で帰ろうと出発。
 一般道でもスムーズに流れているわけでなく、渋滞にはまることがあり。…しかも、娘が車酔いをおこすし。途中のコンビニで休憩を入れたけれど、高速だったら休憩すら入れられなかったと思います。PAやSAは大混雑していますし、コンビニ並みの近距離で存在していないから。
 普段は高速使って一時間半から2時間のところを、3時間半掛かりました。
 私がずっと運転役。家にたどり着いたらどっと疲労が出ました。
25日に行われた、母の膵頭十二指腸切除術は無事に終了しました。
 当日、手術が八時半から始まるとのことで、私は前日から実家に前泊して備えました。
 これから、状況について覚書をします。
 
 当日の朝、七時半過ぎに父と私は病院に着きました。母は既に食堂・デイルーム(患者と面会者が語り合ったり出来る飲食可の多目的スペース)で待機していました。
 前日の夜九時、母は執刀医グループの訪問を受けたとか。いろいろと励ましの言葉をいただいて嬉しかったと母は申しておりました。
 三人で雑談していても、これから始まる手術のことが頭にあるせいか、だんだん会話が途切れがちになり。そのうち、執刀医の一人であるH先生(♂)が術前の説明に来てくれて、説明が終わってから私たちは看護師に導かれて手術室へと移動。エレベーターホールで執刀医の一人であるH先生(♀)とばったり。どうやら、患者・コメディカル・付き添い用エレベーターと、医師用エレベーターが分けられているもよう。
「え~、会っちゃったから、○○さん(母)と一緒に行こうかな~」
 なんて、彼女はかわいらしいノリで言ってくれたけれど、同じ執刀医グループの先生が医師用エレベーターに居たらしく、結局彼女は医師用エレベーターに逆戻り。
「手術室でお会いしましょうねえ~」
 と彼女はひらひらと手を振りながら、エレベーターの扉が閉まりました。

 ここから先は長くなります。
 興味がある方は、▼続きはこちらをクリックしてお進み下さい。
今日、手術説明を受けに母が入院している病院まで行きました。
 はじめで躓きました。 
 SUICAの入金トラブルから予定の電車に乗れなかったのです。全部普通電車で行くつもりでしたが、途中で特急を捕まえたので事なきを得ました。

 以下、説明を箇条書きでかき上げました。メモも取っていないし、説明資料も手元にありません。覚えている限り書きますが、くれぐれも参考にする程度にとどめてください。カッコ内は私が独自に付け加えた部分です。
 
  • 手術法は、膵頭十二指腸切除術。
  • 膵臓の頭部、胆嚢、十二指腸を切除。胃はガン部分と周辺部を切除。
  • 十二指腸がなくなるので、小腸を引っ張ってきて胃にくっつける。
  • 残された胆管、膵臓は小腸につなげる。
  • つなげた部分付近にドレーンの管を入れ、消化液や血液の漏れがないか監視する。
  • 開腹したとき、検査で検知できないほど小さながん細胞が多数見つかる場合がある。この場合は手術を行わない。
  • 膵臓から分泌される膵液は強い消化液である。膵臓とつなげた部分から膵液が漏れると周辺の内臓や血管を溶かしてしまう。大出血を伴うケースがある。2%の患者が出血多量で死に至っている。
  • 胃が動き出したら食事の経口摂取を始める。動き出すまでの時間は個人差がある。少しずつ動き出すのではなく、ある日突然動き出す。
  • 胃が動かないと、食物を摂取しても吐いてしまって受け付けない。
  • 腸の癒着がある場合、時間が掛かる。
  • 術後の食事制限は特にない。ただし、膵臓の働きが悪く、インシュリンやグルカゴンの分泌が少なければ糖尿病患者と同様にインシュリンをうたなければならない。膵液の分泌が悪ければ、消化剤を処方する。
  • 膵ガンは抗がん剤が効きにくい(抗ガン剤を運んでくれる血管が少ないため)。根治するには手術が必須。抗がん剤は「延命の手段」と理解して欲しい。
  • 手術をしなければ、余命は一年。膵癌のステージは2~3。
 母は手術を渋っていましたが、『手術しなければ余命一年』と宣告されて覚悟を決めたようです。
「…一年っても寂しいよねえ…。せめて、みーみー(私の娘・高二)の大学入学は見たいし」
 生きる口実が、孫になってる…。祖父母にとって孫の存在って大きいんですね。孫の方からしてみれば、祖父母のことをそこまで思っているかどうか。ヘタすればお小遣いをくれる存在だけになっていたりする。年に2、3回しか会わなければそうなってしまうのもわからないではない。…自分がそうだったもので。

 手術同意書の他に、輸血および血液製剤の使用に関する同意書と身体拘束に対する同意書を書かされました。一番最後の同意書は麻酔が切れるときなどに現れるせん妄に対処する際、身体拘束を必要とするかららしい。
 母が入院している部屋を見せてもらいました。四人部屋で、ベッドの周りは常時カーテンが引かれていました。処置するときだけカーテンで囲うものだと考えていたので、びっくりしました。ベッドサイドにはテレビが備え付けられていて、イヤホンで視聴する形式です。
 明日は仕事が終わった後実家に行き、明後日は八時までに病院に行きます。
 手術時間は8時間。ただし、お腹を開けてから閉じるまで。従って、実質的な拘束時間は10時間ほど見ておいた方がいい。その間、私と父は待機していなければならない。待機所から出るときにはPHSを持たされるみたいです。オペ中に何かあったときに、すぐに連絡が取れるように。
 昨日は手術説明の日でした。私は仕事があったので行けず、父と母が説明を聞きました。
 母曰く、父がかなり積極的に質問をしていたそうです。
 ちょっと見てみたかった~と巫山戯たら、「何言ってんの」と母から諭されました。 
 母の膵臓には腺ガンが巣くっていて、胃の噴門付近にはきのこの山みたいに仲良く並んだがん細胞の塊が二つ。…あるそうです。
 
 ガンの手術は、再発を防ぐ目的と、転移を徹底的に防ぐ意味合いで、ガン細胞の周りをかなり切除するのが一般的です。母のケースでは胃の1/5を切除する方法が標準ですが、膵臓の腺ガンも併発しています。胃も膵臓もと一度に問題の箇所を根こそぎ取ったら、本人の体にかなりの負担が掛かるだろうと言うことで。胃はガン部分のみを切除することになりました。
 手術の日程が25日と決まりました。七時間に及ぶ大手術らしいです。それに先だって21日から入院です。
 私は手術当日に休暇を取って、父と共に術後の説明を聞く予定です。
 翌日も休暇を取って父のそばに居るつもりです。
 一般的にダメージをくらうのは、娘や息子よりも配偶者だから。
6/30に実母の胃がん・膵臓ガンの手術説明をされる予定が…。
 
 五月末に胃がんが発見された→CTスキャンで詳しく調べたら、膵臓に影がある→膵臓ガンの疑い→6/22から一泊で細胞検査(生検)を行う手配が整う→ちょっと待て。この影の様子だと、膵臓ガンの9割を締める膵管ガンとは違うんじゃないか。良性腫瘍の可能性が出てきた→6/22の細胞検査(生検)が取りやめになる。→生検よりも体に負担がかからないMRIで検査して、腫瘍が良性か悪性かを判断しよう→結局、MRIでは診断がつかなかった。
 …というのが、今日に至る概要。
 
 次に、先生からの説明の概要です。
 母の膵臓に出来ている腫瘍は、典型的な膵臓ガン(膵管ガン)ではない。膵臓に出来る腫瘍はまずは二つに分類される。
 良性か悪性か。
 悪性腫瘍ならば、がんと診断される。その悪性腫瘍の中でも、大ざっぱに三つに分類される。
 1.膵臓ガン(一般的には膵管ガンを指す)
 2.内分泌ガン
 3.嚢胞ガン
 このうち、9割が膵癌で、三つの中でもいちばんタチが悪い。
 母の症例からして、良性腫瘍か、悪性でも内分泌ガンか嚢胞ガンと推定されます。1の膵癌よりはマシらしい。どのようにマシなのかは、調べてみようと思います。
 来週には、今度こそ、一泊二日に亘る細胞検査があるらしい。その翌週には検査結果がでる。しかし、今回の細胞検体は判断が難しいとか。従って、検査結果が出るのが予定通りに行かないかも知れない。今のところ、結果が出るのが14日の予定ですが、延期されるかもしれない。
 だから、検査結果が確定したら、また連絡すると両親から言われました。
 この細胞検査の結果、良性と診断されれば、膵臓の切除がなくなる可能性かある。
 良性ならいい。
 今日の予約は9:40のはずでした。父、母、私で乗り込んだ。実家から病院まで一時間足らずなので楽です。
 実際に説明が始まったのが、10:30…
 
 もうちょっと、なんとかならないのかな…待ち時間。
 病院の説明が終了したのち、お昼ご飯を外で食べようという話になりました。
「今のうちにがっつり食べて、長時間の手術に耐えられる体にしたい」
 との母の希望で、昼間っから焼き肉を食すはめに。
 実家最寄り駅近くの焼き肉屋さんでランチ。しっとりとした気候の中、10分以上歩かせられた…。へばっているのは車社会で過ごす私ひとりで、両親は涼しい顔。
 この三人で外食するのは結婚して以来、はじめてかもしれない。考えてみれば、夫も娘もいない、親子三人だけの状態がすごく久しぶり。
 こんな事態にならなければ、親子三人になることはなかなかないんだな…としみじみ思いました。
 
 昼間っから父はビール、母はチューハイに走っている。
 一緒に酒を飲まないかと誘われましたけど!
 その日のうちに車で家に帰るから飲めないし、…もともと昼間は飲まない主義でして。
 
 実家に戻ってから横になり、そのまま眠ってしまいました。親に声を掛けられたときには五時を回っていた。あわてて帰り支度をする。
 
 関越に乗ったとき、はじめてやらかしたヘマ。
 新潟方面に行かなければならないのに、東京方面に行ってしまった…。方面を間違えるなんて…今までやったことがなかったミスです。
 結果、練馬インターを降りてから、都内の道路を怖々と運転する羽目になりました。 
 22日夜に逝去されましたM.K.さまにつきまして。
 心よりご冥福をお祈りいたします。
 
 今日は朝から、彼女が残したブログを読んでいました。母もガンに罹患して、己の死期を悟っています。少しでも、患者の立場でかかれたブログ(ある程度長文であるから、情報が得られやすい)を読みたかったのてす。
 彼女のブログには、私が知りたいことが詰まっていました。
 がんに罹患した人間の思うことについて。日常生活について。
 まだ読み終わっていません。 
 彼女と母は、置かれた立場が全く違います。
 年代、子供の年齢、立場、ガンの罹患部位etc…
 共通しているのは、ガンに罹患したことと、「まだ、生きたい。希望がある限り、生きていたい」という思い。
 
 何年前だったか、母との会話の中で、「食べたいものが食べられない、体力が落ちて動くことも難しい。そんな状態で生きたくはないよねー」という感じで盛り上がったことがありました。
 ところが、20日の説明後、病院内のカフェでいろいろと話している中で、
「わたしは何でもいいから生きたい」
 と母が言ったことに私は驚愕しました。
「え、それって、おばあちゃん(母の母、食道ガンで食道切除のちガンが転移して寝たり起きたりの生活を送った後、末期ガンで死去)みたいになっても…?チューブだらけになっても?」
 うん、と母は頷きました。
「だって、生きていたいよ。寝たっきりになったらどうかわからないけど。母さんは(母の母)、体力的にどんなにしんどくなっても下の世話だけは人に任せなかったし。直ったら、温泉くらいは行けるかなあ。みーみー(私の高二の娘)の大学入学、いや、せめて成人式は見たい。○○(花の名前)も見たいし。山に行くと、季節によっていろいろ花が咲いているんだよ。見たかったけど、もう、無理だよね」
 その時の私は掛けるべき言葉を思いつきませんでした。
 
 彼女のブログを読んで、母の気持ちがなんとなくわかり掛けた気がします。
 食事=生き延びるため。楽しみもあるけれど、健康なときに比べて楽しむ割合は下がっている。
 生きていきたい=自分の周りに起きる現象に関わり続けたい。母は、山登りが趣味です。たった一人の孫の成長も楽しみにしています。母が身ごもった中で、成人したのは私だけです。後の二人は流産だったり誕生日を迎える前になくなりました。一人娘の私が産んだのは娘一人。思い入れは人一倍でしょう。
 子供を産む=親孝行、とかつてお世話になった産婦人科の先生はおっしゃいました。
 娘を産んだときの父母の喜びようを見て、先生のおっしゃったとおりだな、と納得しましたが。
 今になって、私の娘が母の生きる縁のひとつになっていると思い知りました。
 母の娘…私はもう四十を過ぎていて、未来はほぼ見えている。
 母の孫…娘は十六。将来やりたいことは確定し、夢に向かって突き進む。私の父母に向かって目を輝かせてやりたいことを語っている。
 若いっていろいろな可能性がある。その未来を見たいと、母は希望しているのでしょう。
 …その娘は、本日行われた塾の2者面談(親と先生)の結果を聞いてがっくりしていました。
「…宇宙工学系、それしかないの?マジ、三択じゃん。はああ…」
 東大、京大、東工大に行けるアタマがあるんなら、選択肢が増えるけど…?
 高校から、夏休みのノルマとして、最低二つのオープンキャンパスに行くミッションが与えられましたが。娘が早速オープンキャンパス事前申しこみした大学は…
「筑波大…もう定員いっぱいだって…」
 16日からオープンキャンパスの事前申し込みが始まった筑波大はダメだった…
「あと、首都大学東京と…名古屋大?マジ、センターこんだけ取れって?」
 おまえの壊滅的な通知書では推薦は無理なんだよ。塾の先生が、娘との2者面談の時に、通知書と模試とのあまりの解離ぶりに、模試の結果を何度か確認したらしいけど。
『たまに、こんな学生が居るんですよね…』と今日2者面談に挑んだダンナも言われたらしい。
 
 30日に予定されている母の膵臓ガンの手術説明。
 私はそれを出来るだけそのまま、娘に再現し、更に解説を加えて説明しようと計画しています。
 それから、M.K.さんのブログ。
 全部読み尽くして、母との今後に備えようと思います。
二十日に、母の胃がん手術についての説明が成される予定でした。
 しかし、胃がんの精密検査で使用したCTスキャンによって、膵臓にガンらしき影が確認されたときに状況は一変しました。
 膵臓ガンは発見されたときには進行ガンになっているケースがほとんどです。
 見つかった胃がんは初期で、明るい展望だったのを。…膵臓ガン(疑)がひっくり返してくれました。
 従って、二十日の説明内容は、胃がんよりも膵臓ガンの方に重きを置いた内容になりました。
 私は休暇を取って、車で実家に行き、そこから母と二人で電車で病院に行きました。
 
 三時半から説明がはじまるはずが、実際に診察室に呼ばれたのは五時。
 三時過ぎには病院に着いていたので、長い待ち時間の間、母といろいろと話をしました。
 家族のこと、仕事のことなど。こんなにじっくりとプライベートな話が出来たのは初めてでした。ことに、母は私たち家族のプライベートを聞きたがり…普段はそうでもなかったのに…私は細かく自分の日常や、娘の高校受験や高校生活についてのエピソードなどを話しました。
 
 実は、CTスキャンで影が見つかったときに、膵臓ガンの疑い、の宣告をされたそうです。
 その時に説明してくれたM先生が、ずばずばと言うタイプだったらしく。
「保って2、3年だね」
 と、あっさり言われたそうです。父は真っ青になり、母は頭が真っ白になったとか。

 説明の順番が回ってきたとき、いいかげん待ちくたびれていました。同じ待合室に居る人が次々と診察室に呼ばれている。次は私たちかな…と勝手な予想はいくつも裏切られ…いっそのこと飲食店並みに、皆が見られる状態の書き込み式だったら気を揉まずに済むのに。

 H先生は思いやりのある方でした。絶望的な内容の説明に、なんらかの余地を残していました。言ってる内容は、母から聞いたM先生と同じだと思いましたが。『ものは言いよう』としみじみ実感しました。特に、死期をある単位で切られた人間にとっては。
 母がすがるように訊ねます。 
「素人考えなんですが、残された部分が多いと回復が早いような気がするのですが。そんなに切らなくてはならないんですか」
 母の内臓は広範囲にわたって切除される予定です。胃がんが出来ているのは胃の入り口付近。そして、膵臓ガン関連では、膵臓の頭部、十二指腸の全部、胃の一部、胆のう、胆管などを取り除くもので、残った膵臓を小腸につないて膵液が小腸に流れ込むようにします。場合によっては、膵臓の全てを摘出するかもしれません。
 H先生曰く、
「どれだけ残すかと言うよりも、残された膵臓がどれだけ機能するかですね。手術しても直る見込みがなければ、はじめから開腹しませんよ。9(対)1とか8(対)2とか…その辺は意見が分かれるところですが、僕はこのように考えています。たとえ7(対)3でも、希望が持てるから、手術するのだと」
 母は、
「じゃあ、少しは希望が持てるのですね」
 H先生は曖昧に頷いただけだったけれど、母の顔色はたちまち明るくなりました。

 五時を余裕で過ぎていましたが、母がティータイムを要望したので、病院内のレストランでおやつを食べることにしました。
 母はアップルパイとホットコーヒー、私は抹茶シフォンケーキ(生クリーム、粒あんおよび粉砂糖を抜いたもの)とアイスティー。
 改めて、H先生の話をかみ砕いて説明し、術後に食べられなくなる可能性がある食品を解説。術後の栄養指導で初めて教えられても遅いんだよ。食べられるうちに食べておかなきゃ。ね。
 それから、H先生の説明にもあったインスリンの話。血糖値を下げる働きがあるインスリンを作っているのは膵臓で、膵臓を取ってしまうと当然インスリンがでない。Ⅰ型糖尿病と同じ。だから、インスリンを自ら打って血糖値をコントロールする必要が出てくる。
 小学生だって、インシュリンの自己注射を行っていると母に教えました。そうなの…、と母は少し安心したようでした。

 帰り道にも、話がはずみました。中でも、両親が老後をどのように過ごすつもりで居るのかと、金融財産について明確に話が出来たのが収穫でした。
 まず、二親とも、私の世話にはなるつもりはない、と。私は一人っ子ですので、そのような親の見解がはっきりしてホッとしました。しかし。別の問題がある。
 …って言われても、要介護レベルになったとき、とか…どうするんだよって。私が物理的あげくに金銭的面倒も見なきゃあかんのか。私が知りたいのはそこです。
 母が口にした、両親の預貯金の額を聞いてびっくり。父は中卒の建築系の職人で、私をお金の掛かる私大薬学部に入れてくれたあげく(スチューデントローン無しで)、ここまで貯められるなんて、お父さんもお母さんもすごいな…と尊敬します。同時に、安心しました。父が悪徳商法に引っかからない限り、一応は大丈夫でしょう。
「あんただって、それくらいあるでしょ。共稼ぎだし」
 軽く言い放つ母に、私は自分の年収(税込み、保険料込み)をぼそぼそと告げました。
「えっ、なに、そんなにもらってないの」
 と、驚かれました。心外だ。
 どうせ、私はサラリーをもらっているただの雇われ人だよ。
 ちなみにダンナの収入も似たようなもんです。
 と告げたら…母、絶句。
「一流企業に勤めているわけじゃないんだからさ…」
 夫婦で束になって、父に追いつく…のかなあ…安月給の雇われ人は成功した自営業に遠く及ばないんだよ。

 父に、「来てくれてありがとう」と何度も言われました。
 父から謝礼の言葉を連呼された…もともと謝礼の言葉すらほとんど言わない人なのに。
 よっぽと、心細かったのでしょう。
 私は翌日に仕事があるので、とんぼ返りです。実家から、駐車場まで徒歩3分ですが、いつもなら父は家に残って、母が駐車場までついてきて、雑談を交わしていますが。
 今回は、母が家に残って父が駐車場まで付いて来ました。
「…全く、参ったよ」
 二人とも前を見たままで会話。
「お母さんの力になってね」
「…うん」
「これからは、お父さんが頼りなんだから。家事は全部お父さんがやるんだよ」
 父が固まったのは…気のせいだと思いたい。

 30日に、いよいよ膵臓ガンの説明があります。私は仕事が終わった後、実家に前泊して説明に臨む予定です。それまでに、ざっと調べておかなくては。主治医がずばずば言うM先生になるみたいで、説明役も彼らしいので。父と母を精神的にどん底に突き落としたM先生です。
 だから、両親が先生に質問したときのフォローはしたい。
 母や父に詳細解説を乞われたら、応じられるくらいの予備知識はつけておきたい。
 使っていない医療系免許でも、(はったりで)役に立てられればいいかな。
午前十時くらいに、母から電話が掛かってきました。
 母が胃がんに罹患しているのはわかっています。だけど、私が仕事が休みの日に、母自身が自宅に電話を掛けてくるとは…嫌な予感しかしませんでした。
「…実は、胃がんだけじゃなくて、膵臓ガンなの」
「…」
 膵臓ガンって…いちいち調べなくても予備知識で知っている。膵臓自体が体の奥深くにあるせいで、まわりを他の内臓に取り囲まれていてガンが発見しにくいこと。早期発見が難しく、発見されたときには既に進行していること。予後が非常に悪い…つまり、5年生存率が低いこと。昭和天皇もこれが原因で崩御したはず。
 膵臓ガンと耳にした途端にこれだけの情報が頭の中を駆け巡り、…私の心は勝手に落ち着く。電話口の本人を前に、私が取り乱すわけにはいかない。
「14日に詳しく検査するんだけど、膵臓ガンのこと、全然知らないから。悪いけれど、調べてFAXで送ってくれる?」
 取りあえず、了承した旨を返答しました。実家にはiPadがありますが、父専用になっていて、母は使い方を知らないのです。しかし…
「ちょっと待って。お父さんは膵臓ガンのこと知っているの?」
 と訊ねたら。
「胃がんのことしか話していない。胃がんは初期なんだよ。それでもお父さんは『困った困った』としか言わないんだよね。普段、わたしにはトロいだの、コップをひっくり返せばなにやってんだだの、口うるさいのに。胃がんの話をして以来、私のドジに対して全然文句を言わないんだよ。あの人が気の利いたセリフを言えるわけがないとはわかっているけど…あの状態じゃ、膵臓ガンのことなんか言えないよ。今日、お父さんは三時ぐらいまで帰ってこないから…」
「わかった。ただ、資料がたくさんあるので、私が適当にまとめてFAXするよ。書き直すから時間が掛かるけどいい?」
「悪いね。私も、もう、何が何だか、よくわからなくなってる。がん、って聞いた途端に頭が真っ白になって。お父さんは取り乱しているし。うちに居ると、あのこと(膵臓ガン)のことをぶちまけたくなるから、なるべくうちに居ないようにしている。友達の誘いにも乗りたいし、ちょっとした遠出もしてみたいんだけど…。先生も、今のうちに小旅行とかやっておきたいことをやりないって薦めてくるんだけどさ…」
「とりあえず、お父さんには胃がんの手術をしたらって前提で話をすればいいんじゃない?内臓を一部でも取っちゃうと、からだにかなりガタが来るのはわかっているはずじゃない」(母は28年前に胆嚢を摘出しています)
「でも…言えないよ…」
 と母は弱々しく主張します。
 だけど、私も言えない。父相手に、うまくごまかす術がわからない。
 父、母、私の三人で構成されている家族で、潤滑油的存在は母です。私も父も、取りなすことも、下手に出ることも出来ないから。母が居なくなったら、私と父は衝突するでしょう。60代後半~70代の父親と30~40代の次世代は、母親が潤滑油になっているパターンが多いと思うのです。母親が居なくなった途端に仲違いするケースが多くなるのではないかと予想します。
 とにかく、私は国立がん研究センターの資料を読み込んで五分の一にまとめ上げ(それでもA4二枚になりました)、印刷してFAXしました。ただし、5年相対生存率については、あえて記しませんでした。さんざん迷った末でした。

 私の推測ですが、膵臓ガンが胃に転移したのではないのだろうかと。
 母には、術後の優先順位を決めておいてもらった方がいいのかもしれない。
夜に、実母から電話がありました。
 胃がんになってしまったこと。手術その他の説明が来月にあるので、同席して欲しいとのこと。
 
 聞いた瞬間、案外早かったなというのが感想です。母方は癌家系ですから、そのうちに癌になるだろうとは予想していたけれど。もっと後の話かと思っていました。
 よくよく考えてみれば、母は69歳。罹患してもおかしくない年でした。
 あんまり驚いていない私に、母は不審感を抱いたらしい。
「驚いていないみたいだけど、どうして?」
 と聞かれました。
 癌家系だし、そのうちなるものだとわかっていたよ…とストレートに答えるわけにもいかず、なんとなく予感はあったと言葉を濁しておきました。
 
 これから、どうなるか。
 治療費はどうするのか、母が入院中はどうするのか。こちらと実家は車で一時間半の距離があります。
 私がフルタイム正規で働いているのは両親ともに承知していますが…前世代の標準を盾にされたら困ります。仕事は休めない、仕事は辞められない、この二点は主張していかないと。このブログには記していましたが、両親に知らせていないことがあります。…ダンナの精神疾患について。打ち明けるのは最終手段ですが。
 仕事を辞めるわけにはいかない。娘はまだ高校生ですし、将来的には大学(下宿)に入れるつもりですし。老後を考えると尚更です。
 自分では落ち着いているつもりでしたが、気持ちが昂ぶって空回りしているみたいです。
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落乱大好きです。二次小説を創作しています。
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